やる気がわかず、ポンコツになっていく

今月58歳になるおっさんです、タイトルの通りです

まあ歳を取るというのはそういうことなのかもしれない。認めなくはないけど気力とかやる気とかがどんどん落ちているのを自覚する

外形的にはそれほど変化はないかもしれない

いまでも月に何回もライブ行ったり、横浜FCの試合もホームは基本全戦ニッパツに行くしアウェイもたまに遠征する(今年は大阪、京都、福岡にも行った)、ライブでも地方公演に遠征したりするというのは変わってない。人からはアクティブだねとか若いとか言われるけど確実にエネルギーは落ちていると思う

気がつくと1ヶ月くらいサックス吹いてないとかザラだし、吹こうとする時間にリビングに人がいたりぼーっとしてる間に昼間の時間が終わってたりする事が多くて今日はいいやってなっちゃったりする

いや、元々表現してないと死んじゃうような人間ではないのよ

好きでやってるのは間違い無いけど、ライブとかモチベーション上がるようなイベントがないと練習サボったりというのは昔から普通にあった

そういう意味では10月からバンド活動に復帰するつもりなので、モチベーションは補充できる予定ではある

仕事に関してはアレです。モチベーションの低さが最近(?) 際立っていて、とても表には書けないような感じになっている

まあ、冒頭に書いたけど普通にこういうのが歳を取るって事なのかもね
悲しいけどしかたないね、歳を取るのをやめるには死ぬしか無いから(笑)

と書いてて思ったんだけど、これ元々じゃ無いの?高校のころからギターの練習はサボりがちだったし、夏休みにやろうと思ってたことが全然出来てなかったし

要はダメな自分を歳のせいにして慰めようとしてないか?ていうかそういうことだろ

あかん(オチはありません)

Apple Watch series 8

かねてからの懸案であったApple Watchを買った!
買ったのは下記の組合せ

Apple Watch series 8
41mm シルバーアルミニウムケース
プライドエディションブレイデッドソロループ

プライドエディションブレイデッドソロループ…なんのこっちゃ分かりませんが、ゴムで伸び縮みする虹色の布ベルトです

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腕時計を巻くのは何年ぶり?と考えるくらい腕時計は使って無かった。iPhone 3GSを使い始めて割とすぐに時計をしなくなったという記憶なので約15年ぶりになるのか

最後に使っていた時計は金属バンドのカシオGショック、南極観測隊エディションを使ってました

使い始める前は手首に何か巻いたままとかうっとうしくて耐えられないのでは?と心配しましたが、そこまでではなく意外と何とかなるものだなという感じ

何故、今、Apple Watchなのか

心臓病になって心拍数とかサチュレーション(SpO2)とかが気になりだし、その辺はApple Watchだよねということで急に欲しくなった感じです

まだ使い始めてひと月ほどですがとりあえずの感想は

-PASMO/Apple Payなどが手首で使えるの便利
-Siriが使えるのも便利
-睡眠モニター面白い、心拍数、心電図、SpO2とかのモニターもいい感じ
-時計久しぶりすぎてうっとうしいんじゃないかと思ったけどそうでも無い
-1時間毎に立ち上がれ!とか出てくるの楽しい(今のところは)
-カウントされる運動量が増えたので何も変えてないのによく動く人になったみたい
-ウォレットに表示出来るQRのチケット(Jリーグとか)はウォッチで表示して入場できる

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こうやって書き出すと、アルトベンリな感じですが電車もコンビニやスーパーのレジ、自販機もポケットからスマホを取り出したりせずさくっと時計ひとつで行けるのは思いの外快適です。余りに快適すぎてもう元には戻りたくないという気持ちになる

あと文字盤にアクティビティを表示していると常に意識することになるので、何やらゲームの条件をクリアしてる様な感じになって身体を動かすモチベーションになるなと思いました。一切夜11時近くになってわざわざ近所をチョコッと散歩したりということもありました(笑)

大動脈弁置換術を受けて8週間が経った

大動脈弁置換術を受けて8週間が経った。回復状況や現状を備忘録的にまとめて見ました
まあ、他人が読んでも面白い物では無いと思いますが弁膜症手術後の患者の手記というのは意外と少ないので、これから手術を受けるという人の参考になればと思って書いておきます

変化点

-咳、くしゃみをしても胸骨の合わせ目が痛くならない
-手術の傷口はだいぶキレイになってきた
-傷口の引っつれ感、傷み、痒みは軽減
-血圧はいったん上昇したあと、降圧剤の調整で発症前の水準に戻った

それに合わせて、胸帯(ブレストバンド)は6~7週目辺りで付けるのをやめました。

傷口には退院後購入したテープをずっと貼っていたんですけど、これもそろそろやめようかなという感じです。今週、一度剥がしたまま1日過ごしてみたのですがまだ上の方が若干ヒリヒリする感じがあるので上の5cmだけ覆う感じで短めにテープを切って貼り付けてみています。

飲酒、喫煙、食事

-飲酒は週2~3回程度に減らしました
-タバコは発症後は全く吸っていません
-食事は発症前とあんまり変わっていませんが、晩酌をしないと一応体重が減少する方向っぽいです

サックス、ギター、歌

-サックスは手術後まだ吹いてないです、そろそろ吹いて見るつもり→吹いて見た!割と普通に吹ける!
-ギターは退院後すぐ割と普通に弾けました
-歌、手術後4週目辺りだとまだ胸いっぱいに吸い込んで大声出すとちょっと傷口が痛む感じがありました。なのでガッツリは歌ってない感じです、普通に鼻歌程度は全く問題なし

その他

-胸回りを余り刺激しないようにしていたせいか、左肩に50肩みたいな傷みが出てるのと首筋に筋肉痛の様な傷みがずっとつきまとっている
-胸帯外したあたりから意識してストレッチする様にしているので大分ましになって来たけどまだ完全には治らず
-めまいの症状はこの1ヶ月で1回出たかな?ちゃんと日付を記録してないので曖昧ですが…
-これまでめまいはほぼ出たことがなくて、手術後にベータ遮断薬飲み始めてから3~4回経験しているから薬の影響を疑っている

そんなところですかね

そうそう、心臓の音を聴診器で聞いたところ正常などっくん、どっくんという音に戻ってました。手術前はどっ じゅー、どっ じゅー という感じでああ、漏れてるんだなという音だったので大動脈弁の修復は上手くいってるんだなと確認出来ました(笑)

 

たかが納豆

大動脈弁置換術を受けたあと、ひとつ驚いた事がありました

大動脈弁閉鎖不全症の治療に使われる人工弁には機械弁と生体弁(今は牛の心のう膜から作られる物が主流っぽい)があって、機械弁は寿命が長く一生使える代わりに思いっきり異物であるため血栓ができやすい。というわけで血栓を避けるためにワーファリン(抗血液凝固剤)を一生飲まなければならないというデメリットがあり、ぼくは色々考えたあげく生体弁を選んだんですね

その辺の事はこういうページが沢山あって、メリットデメリット(英語的に言うとPros Cons)について詳しく書いてくれています

ところが!手術後に薬剤師さんから説明を聞くまで知らなかったデメリットがありびっくり!

それはワーファリンを飲んでいる間は「納豆を食べてはいけない」!!!!というやつです
これねえ、生体弁と機械弁のProsとConsを説明したページそのものには書いてないんですよ(少なくと自分がみた範囲で)

上記のページだと本体には書いて無くて、ページ内のリンク先のページには書いてあったりしますが、手術前には見つけられませんでした

それが手術後ワーファリンの服用を始めた段階(生体弁でも術後3ヶ月はワーファリンの服用が必要です)で薬剤師からしれっと納豆ダメって…

えええ?って事は機械弁を選んでたら一生納豆禁忌で行くことになったの?
それ選ぶ前にちゃんと教えてよ!マジで!

たかが納豆ですが、機械弁になったらこの先一生禁忌になるって知ってたら…ねえ
いやその後の一生にかかわる問題を食べ物で決めるなんて…という考えもあるだろうけど…うーんという感じ

 

手術後1ヶ月

大動脈弁置換術を受けて1ヶ月が経ちました
手術後の経過は順調です、血圧がやや高めですが…

普通に仕事に行けているし、生活も基本的には不自由はありません。一応まだ重い物を持つことは避けていますが、スーパーの買い物袋くらいは持てるので余り気にならない感じになっています。

手術を受けた川崎幸病院での診療も終わりとなって、次からは手術前に診療を受けていた横浜市立市民病院の循環器内科に戻りました
今後の血圧のコントロール等は心臓外科ではなく、循環器内科の方がベターというのと手術後の回復が順調でもう心臓外科で診なければいけない時期は過ぎているという判断だと思います


血圧について

  • 大動脈弁閉鎖不全症によって心臓のポンプ性能が低下して血圧が上がらなくなって居たのが、心臓を手術により修復したため性能が回復→高血圧に戻るという流れになったと思われます

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順調なところ

  • 手術跡の傷みは日々軽くなってきている
  • 手術直後~2週間くらいは寝返りする時に胸骨がきしむ感じがして気を使ったがだいぶ普通になった
  • くしゃみをすると激痛が胸骨を中心に走っていたのがだいぶ軽くなった。今は下のほう5cmくらいが痛む感じ

まだ気になるところ

  • 手術跡(胸骨正中切開のあと)がピリピリと痛がゆい(これも大分ましになった)
  • 胸帯(もしくはバストバンド)、イタリア製のクオリブレスというのを使ってますが、まあ窮屈ですね。これは胸の骨がつっくつまでのお守りみたいな物なので我慢してつけていた方がいいようです
  • 傷跡というか縫合あとはそれ用のテープで保護しています。もう傷口としてはすっかりふさがっているのですが、保護しておくとケロイドになったりするのを防げるようです
  • 大きな声を出すと肺に圧力がかかるためか、胸骨の辺りがじんわりと痛みます。大声で怒鳴るのはまだ避けた方がよい様です
  • 大声を出すと痛むということは、肺を膨らませて圧力をかけるのはまだダメ、というわけでSaxはまだ吹けない!我慢ですね!


その他

  • めまい。退院した辺りから1週間ほどの間に強いめまいを2度ほど感じました。いずれも胸帯をゆるめて深呼吸したら治りましたが、ちょっとびっくりしました。調べてみたら今まで服用したことがなかったベータ遮断薬にめまいの副作用が記載されているので、その影響かもですね。

 

心臓手術を受けました

5/12 に大動脈弁置換術を受けました、現在は順調に回復しつつあります

昨年、2022年11月末に大動脈弁閉鎖不全症という病気を発症してしまいました

最初は目に違和感があって、ちょっとチカチカするような感じがしたのでありゃ血圧が高いかな?とい思いました。同時にちょっと息切れがする感じでこれはなにかおきたな、という感じはありました

で、目に違和感を感じた日、帰宅後に血圧測ったらなんと下がってました
10年前から高血圧の治療を続けていて、下の血圧が80を切ることはほぼ無かったのですが63という数字、これはおかしいぞと

その後も血圧が低い状態が続いて、そうこうしているうちに12/4に今度は動悸息切れが酷くなってきました。もう自宅の居間に座ってて立ち上がってトイレに行くだけでぜえぜえ息が切れる、家の階段を2階に上がるだけでぜえぜえ

完全におかしいので月曜日の12/5に近所の総合病院の循環器内科を受信したところ心臓肥大の所見があり、心エコーで大動脈弁閉鎖不全症(中程度)の診断が下りました

なるほど、心臓か
いやあ心臓、そっちか

ここで心臓のドキドキを抑えるカルベジロールと浮腫を抑えるフロセミドが処方され、いったん動悸息切れはかなりマシになって一安心でしたが
(ここで大動脈弁閉鎖不全症についてがっつり調べたのはいうまでもありません)

で、その頃の血圧とか体重の数字見てると発症と同時にどーんと体重が増えてた、これはむくみが出ていたらしい。その後フロセミドが効いてすぐに体重は元に戻ってるんですね、薬が素直に効きやすい体質でよかった

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ついでに血圧の動き、ここ10年分の血圧のプロットです。ずっと下 (BP L)は80-90、上 (BP H)は130-140台でコントロール出来てたのが発症後どーんと崖を落ちるように落ち込んでるのが分かる

 

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これは心臓の出口の弁がキチンと閉まらず、心臓から大動脈を通して身体中に送られるはずの血液が一部心臓に戻っちゃうから十分な血液が送り出せずに結果的に血圧が落ちた、という事だろうね

まとめると

-大動脈弁閉鎖不全症(心臓弁膜症の1種)になった
-心臓がポンプとして故障しているので身体を循環する血流量が不足する
-肺で酸素を取り込んだ血液が上手く送り出せない
-結果として息切れと動悸(血流量不足を補おうとして鼓動が早くなる)がおこる

こんな感じです。

最後の動悸と息切れは薬で抑えることが出来、静かに過ごしていれば日常生活を送れる。ただし、このままだとずっと心臓を気遣って生活する必要がある。

困りましたね

この病気のいいところ(?)は手術による治療法が確立しているところです、人工弁への置換や自己弁形成などいくつかの方法はありますが手術による治療が可能です。成功率は97~8%という感じ、ぼくの場合他の症状はないし年齢も若いので統計データは見つかりませんでしたが数字はもうちょっと楽観的になるはずです。

ポイント

  • 心臓弁膜症(大動脈弁閉鎖不全症を含む)は手術による治療法が確立している
  • 手術の方法は自己弁形成、人工弁(生体弁 or 機械弁)置換の2種類
  • 手術の成功率は結構高い(手術中に何かがおきたりしない限り成功するイメージ、何かは血栓が飛んで重篤な合併症起こすとかも含む)

さて、なんにせよ地元の総合病院では手に余る症状なので医療情報提供書(紹介状)付きで横浜市立市民病院に行き、そこで詳しい検査を受けることになりました。市民病院の治療実績とかはこの時点では調べていません、単に大きくて新しくて近いという理由で選びました。このときは手術になったら改めて病院を選べばいいや、という気持ちでした。

市民病院で心臓カテーテルを含む各種検査の結果、血液の心臓への逆流は「大」で手術の適用になるという診断が下りました。(逆流の度合4段階で一番悪い状態)

この時点で選択肢は2つ

  1. 薬で症状を抑えつつ心臓がいよいよやばくなるまで待つ
  2. 即手術

ちなみに日本では 1.を選択することが多いとか、実際市民病院の循環器内科の先生も様子見を薦めていました。が、あくまでもどちらを選ぶかは患者の意思によるという事でした。

ぼくの選んだ選択は「2. 即手術」です。何よりSaxが思いっきり吹けない、楽器は吹けるんですが例えばライブ相当で1時間、何曲も連続で本気で吹くのがちょっと辛い。というわけで診断が下った後所属しているバンドをすでに一時お休みしている状態でした。

ライブで吹けない、思いっきり吹くことが出来ないというのは相当に辛く、診断が出てからSaxを吹く頻度が極端に落ちました。このままではSaxを吹くという趣味をあきらめるということになる、と思いました。

たかが趣味ですが、ただの下手くそですがこれはぼくの中ではかなり、かなり残念な事態を意味します。贅沢を言ってると思いますが、治療を受けることでまた心置きなくSaxを吹くことが出来る可能性があるなら選択は1つですね。

というわけで手術を選択\(^o^)/

手術をする病院は長くなるので色々考慮した結果、川崎幸病院に決めて再び医療情報提供書(データ付き)を作成を依頼しました。

これが3月22日、あとはトントン拍子で4/19 川崎幸病院外来、4/26~28 手術に向けての検査入院、5/12手術、となりました。

術式は自己弁形成をトライ、開けてみて弁の状態が悪ければ人工弁に置換という手順です。ということは開胸手術になります、入院期間は術後10日~2週間が目安。これらの日程が決まったのがGW休みの間だったので、とりあえず会社にメールを入れてあとはこんな感じになりました。

4/19(水) 川崎幸病院心臓外科初診
4/26(水)~4/28(金) 検査入院
5/8(月) 外来診察(休暇)
5/9(火) 出社して長期療養休暇等の手続きと引継ぎ
5/10(水) 入院
5/12(金) 手術

3月末から近々手術を受けること、その際は2~3週間の休みになる可能性があること等は職場に伝えていましたがそれにしても休み明けにドタバタすることになってしまいました。幸いにして勤務先はきっちりとホワイトなので、誰も嫌な顔ひとつせず非常にスムーズに手術のための休みに入れました。感謝です。

手術が決まってしまえば後はそれまで感染症に気をつけつつ過ごすだけであっという間でした。

結果として、手術は成功、弁の状態がよろしくなかったので人工弁置換(生体弁)をしました。術後の回復はとても順調で、手術の翌日にCCUから一般病棟に移り、手術から8日目、5/20(土) に退院となりました。

減量と断捨離

以下の予稿を去年の11月に書いてるけど、この時点でその半年前に「どうしたら痩せられるか」というエントリーを書いてることを忘れている!

もちろんレコーディングダイエットも7月28日を最後に途絶えたままだ…

ダメじゃん!

: 2021-11-23
すっかり秋ですね、昨年降格のないシーズンを無難な成績で終えた横浜FCは降格ありのガチンコシーズンで最下位降格が決まり、昨シーズンタンクしてドラフトNo.1ピックを無事取ったデトロイトピストンズはそれにもかかわらず4勝12敗でイースタン15チーム中14位と今季も低迷している今日この頃ですがぼく自身は何とか今日も息をしています。

さて、お題の件ですが…

2000年を前に体重が90kgを超えてからずっっと痩せなくちゃなと思ってます。
そして2003年に米国から帰国してからずっとしまったままの段ボール箱があったのを筆頭に家の中にいらない物が多すぎです、はっきり言ってずっと家が汚部屋状態です。

踏んだり蹴ったりじゃないですか\(^o^)/

余分な脂肪も物も捨てられないのはどうしてなのか?
性格なのか自分の特性なのか、いずれにしても欠点であることには間違い無いです。

減量に関しては色々やっては来ました

-レコーディングダイエット
-休肝日を作る
-ジム通い
-プール通い
etc.

しかし続かない、体重はさぼりながらも同じスプレッドシートにずっと記録しているので傾向は追える。今調べたらこんな感じでした、

2001年10月~2002年3月 92.6 → 85.6
2003年4月~2003年8月 89.0 → 84.8
2007年1月~2007年6月 89.0 → 84.8
2009年2月~2009年8月 88.8 → 81.8
2012年4月~2012年11月 88.6 → 84.1

減量の傾向が残っているのはこの5回、この後は2012年11月から2014年4月頃にかけて緩やかに増え続け90kg台を回復しその後ゆるゆると増え続けて今年の3月に人生最高体重の95.7kgを記録、これを書いている今朝の体重は93.6kgだった。

5度にわたる減量とリバンドを繰り返してあきらめてしまった感じですね。この10年ほどは体重が減る気配すらありません。
もうね、自分にガッカリですyo!

でもまだあきらめません、9年ぶりにやります。

目標 6ヶ月で6kg減

-休肝日増量:週3回
-歩く:晴れた出勤日は電車通勤
-基本は食べる量を少しずつ減らす
-休肝日は週3回
-断捨離!

断捨離?そう断捨離です、またはコンマリ
この際自分と家の贅肉をそぎ落としたい、すっきりした身体ですっりしした家で過ごしたい!そういうところです

やり方はいらない物を捨てる!これに尽きるんですが、これは意外にパワーを使うしなかなか進みません。Netflixのコンマリ番組見たし、どうすればいいのかは分かるんだけど面倒くささとやる気を天秤にかけるといつも面倒くさいが勝ってしまう

これは減量と同様、きっちり宣言をしてやる!と決めてやらないと進まない奴です。

というわけでここで宣言!改めて減量と断捨離に取り組みます!

以上!

どうすれば痩せられるのか

太っている、いや元々太っていたが在宅勤務をする様になり運動不足は積み重なり、17時になると同時に自由時間となりカシャプシュ…というよろしくない事になり20数年ぶりに人生最高体重を更新してしまった。前回の最高体重記録はアメリカに住んでいて安いのをいい事に毎日好き放題にビールを飲みステーキを食べまくっていた時期だ。

で、表題に戻るが結論は簡単である

  • 飲酒を減らす、週1~2回程度にする
  • 食べ過ぎない、脂っこい物は控える

以上、付け加えるなら

  • 適度な運動を継続的にする(筋肉量維持)

うむ、シンプルだ。分かってる、そんなの20年前から分かってる、ただやりきれていないだけだ

ではどうすれば実行、継続できるのか、それが問題だ
記録に残っている限り、最初に減量を決意したのは

というわけでまた新しい取り組みを実行してみよう。ひとつは前からやっているレコーディングダイエットの再開、体重の記録とともに毎食何を食べたか記録をつける
もうひとつは休肝日の計画実施をしてみようと思う。今日は酒を飲まないぞ、と朝に思っていても夕飯の仕度をしているうちに誘惑に負けて飲んでしまうということが非常に多いのだ
これが非常に問題なので、そこを解決すべくあらかじめカレンダーに休肝日を書き込んでおきクリア出来なければその日の分を他の日に割り当てるということをやってみたい

祝!横浜FC J1昇格!

横浜FC 最終節、愛媛に見事勝利して2位確定、2020シーズンはJ1で戦うことになりました!


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めでたい!


ぼく自身2010年辺りからのファンなので前回昇格/降格の事はよく知らないのですが、それでもこの10年で色々悔しい思いをしてきました。何度も何度もつかみかけては遠のいて、もうつかみ取れることは無いんじゃ無いかとすら思ったJ1昇格、やっとつかみ取りました。


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もうね、単純に嬉しいです\(^^@)/


今から来年どこに遠征に行こうかワクワクしています、大阪、神戸、名古屋、仙台には行きたいな。清水もいったこと無いし夢が広がりんぐです

(食べ物基準で選んでます)

個人的ネット及びコミュニティ史

主に記憶をたよりに書いてみる(ほぼほぼ備忘録ですが)
~1994年
同窓生、趣味が同じ人、同僚などの交流関係が中心

1995年~2007年
Niftyサーブフォーラム時代、FDIVING全般、FWORLD路地裏のあやしい旅人、FMPC旅先通信の部屋など特定の趣味だけでつながった人達との交流がありました。
FDIVINGやFMPCではオフ会も盛んで、FDIVINGの人達とは今でも交流があります。FMPC 旅先通信の部屋では辻バードさんとカンザスシティのジャズ博物館のこけら落としでお会いしたり、パリでのオフ会でトゥールダルジャンのキャビスト林さんと会食したり貴重な体験もしましたね。

1999年~2016年
Nifty @homepage、ニフティのホームページサービスで個人ページを作っていました。特に注目を集めることもなく、旅行や水中写真などを地味に掲載していました。2016年のサービス終了と供に削除、データはバックアップをとってますが当時の事情で写真のサイズも小さく(横640pixelとか)コンテンツ復活の予定も無しです。

2001年~
Slashdot.jp(現在のhttps://srad.jp) 日本語の一般向けブログサービスがなかった時代に「日記」(英語版ではjournal)がつけられる貴重なサイトでした。タレコミを投稿して採用されるとトップに表示される、有用なコメントにモデレートでランク付けをするなどユニークなシステムを持つ雑談サイトですがちょうどアメリカ駐在から帰国した2003年頃に大規模なオフ会があり、リアルな知り合いになった人も多いです。
VOID氏やjbeef氏など有名人のアカウントもあり、中々に盛り上がったコミュニティでした。

2003年~
ココログ、最初のエントリーが2003年12月3日でした今年の12月には16年!ここを開設してそんなに時間が経ってたのか( •̀ㅁ•́;) 当時はまだ30代ですよ、信じられない

2004年~
2ch楽器作曲板の「大人になってギター熱が再燃した人」スレが盛り上がり、オフ会やセッション大会に発展してセッション仲間が大量に出来るという現象に遭遇しました。この仲間達はその後mixiに移行してTAMGというコミュが出来て、大勢で集まってセッションをしたり、ライブを開いたり、その中からバンドが出来たり解散したり、まれに見る充実ぶりでした。
彼らとはもう十数年の付き合いになりますが、未だにオンライン、オフラインで交流がありよい友人になっています。

2004年~
mixiがこの頃でしたね、最初はクローズドコミュニティで招待制でしたので、新しい物好きの/.jpの人に招待してもらいました。というわけで最初はスラドの人とのつながりが多かったですが、徐々にmixiが一般に広まるに従ってFDIVINGの人とか、2ch由来のセッション仲間とかが集まるようになり、とても充実したコミュニティベースになっていました。
クローズドコミュニティが簡単に作れて内輪の話とか、飲み会やオフ会の話とかが出来てとても便利でした。

2007年~
Twitter、コミュニティとは違いますが、コミュニケーションプラットフォームとしてインフラ化しているサービスだと思います。
ぼくがTwitterにアカウント作ってもう12年になるんですね。こちらはコミュニティというよりは、みんなが好きなことをつぶやく公共のメディアみたいな場所ですね。初期の頃は流れも緩くて、割と濃いめのツイートが多くて、それでいて緩くて牧歌的でハマりましたね。
12年もやってるのにフォロワーは800人台でさっぱり増えませんが、好きなときに好きなことをオープンに書ける場としてとても重宝しています。
あとは今日の話題を拾ったり、何か起きたときに検索したり、ライブが終わったらすぐに感想を共有したり情報が早くて便利ですね。

2010年~
Facebookの利用は割と消極的、今確認したらFBにアカウント登録した日に貼り付けたプロフィール写真を未だにそのまま使ってます。最初は登録だけして、たまにフォローした有名人のアカウント等を見てるだけだったんですが、だんだん日本でもメジャーになり中高の同級生やセッション仲間、ニフティ時代の仲間など旧友たちとの連絡と近況確認がメインになって行きました。
自分自身の投稿はTwitterとの連携で、ツイートした物をそのままFBに流して、コメントが付いたら返信するみたいな感じでしたが、最近Twitter連携がなくなってしまった為現在は休眠アカウントみたいになってます。

2012年~
Instagram、あんまり使って無いですね。7年間で63枚しか写真を上げてないw

2014年~
Ingress、2014年10月に始めてからすぐに The Enlightened のコミュニティにどっぷり浸かり、今に至ってます。

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