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2009年10月

吉野家の味が落ちてる?

下記エントリーのコメントに吉野家牛丼の味が落ちてるという人が多くてちょっとショック

痛いニュース(ノ∀`) 吉野家、牛丼が売れずに赤字転落へ

(以下無駄に長文)

吉野家で4年バイトしたし、牛丼の味はそれなりに知っていると思うが最近の吉野家においてもタレ味、肉質※などに大きな変化はない。ただし、調理のばらつきは増えているのかもしれない。

※強いて言えば肉質がちょっと脂少なくなったんじゃないかなという程度

ぼくとしては、牛丼は店ごとの味の変化を楽しむ食べ物となっていて、煮込みが浅い/煮え煮え、味が濃い/薄い、つゆが多い/少ないなどの違いは美味しい/不味いという尺度に余り大きな影響を与えない。後述する脂抜きがしっかり出来ていて、適正量に盛りつけてあればあとはバリエーションとして楽しめる。もちろん、その日の期分でつゆ抜き/だく、ご飯少なめ(軽いのなどとは客としては発声しない様にしてる)など、必要な注文をつけることはある。

そもそも牛丼は味のばらつきが結構ある。牛丼なんて、鍋に肉と玉ネギつっこんで煮るだけじゃんと思う人も多いと思うが、実際はどんぶり盛っている人=牛丼を調理する人によって味は結構変わる。ポイントは味の濃さ管理と脂抜きという工程(+どのくらい売れているか)。

吉野家で使っている牛肉の脂には独特の臭みがあるので、肉を煮たら必ず浮いてきた脂をお玉ですくって取り除く必要がある。この工程を脂抜きという。これがきっちり出来ていないと、青草っぽい独特の臭みのある牛丼になってしまう。

タレ味の濃さも重要だ。牛丼が沢山売れる店はどんどん肉が出て行くので、味がしみこむ前に売れてしまい薄味になりやすい。逆に余り売れない店は煮詰まって味が濃くなりがちだ。肉盛り(牛丼を盛りつける人をこう呼ぶ、飯盛りも兼ねている場合がほとんど)はその時間帯の売り上げを勘案しながら、こまめにタレの濃度を調整しなければならないのだ。

このように同じタレ、同じ肉、同じ玉ネギを使っていても調理者によって味が結構変わってしまうのが牛丼だ。ぼくがバイトしていた頃は、スーパーバイザー(大体大きな店の店長経験者、概ねすばらしい牛丼を調理する技術を持っている)が定期的に回ってきて、だめ出ししていた。

今はメニューも多いし、スーパーバイザー(的な人がいたとしても)も牛丼の味ばかりチェックしてはいられないだろう。食べ物屋がメニューを増やすということは、その店の本来の売りである商品の質を落とすことになるというリスクがある物だ。

牛丼を美しく盛りつけるには、まずご飯の盛りつけが大事。表面はなめらかに、でもご飯は押しつけず、平面に近いが中心が少し盛り上がっているのが理想的。通常、上手な人だとしゃもじを2回使えばまずまずこの状態に出来るが、名人クラスになると一発で完璧な飯盛りが出来る。

一発でというのはジャーからご飯をどんぶりによそって、ぱっとしゃもじをどんぶりから離すとご飯が完璧に平らに美しくよそわれているという状態。普通の腕だと、2回はしゃもじを使う。ところが、今の吉野家ではしゃもじを4~5回使ってもご飯の平面度が出てないていたらく。

肉盛りも独特の技術がいる。お玉に適量の肉と玉ネギをすくったら、キレイに盛りつけできるようにお玉をひねりながら肉をお玉の上でくるくる回す。これが出来ないと、素早くきれいな牛丼を盛りつけることが出来ないのだ。ひょいひょいとすくって、くるくる回して、すぱっと盛りつける。肉をどんぶりに乗せるときは、どんぶりを右に傾けて、お玉を左から右に抜く。この抜きが大事で、すぱっと抜ければお玉の上で整えた肉がそのままの形でご飯の上に乗っかる。

お玉を横に動かすので、横盛りといい、抜きが大事などと教えられた。

今度吉野家に行く機会があったら、牛丼を盛るときのお玉の動きに注意して欲しい。くるくると鍋の上でお玉の柄が踊り、すぱっと横に抜いて盛りつけていたらそれが美しい牛丼の盛りつけ方だ。ぼくは吉野家以外で、この方法で牛丼を盛りつけている場面を見た記憶がない。

この技を身につけていない盛りつけ者の場合、お玉は縦に動く。手前から向こうの方に、よいしょよいしょと2~3回動かしながら、肉をどんぶりに乗せていく感じ。これを縦盛りと呼び、肉盛りの技術が未熟な者がするやり方と教えられた。

残念ながらこれらの肉盛りの技はもう廃れているのかもしれない。少なくとも普段ぼくが利用する横浜市近郊~神奈川県東部のいわゆる郊外型店舗では、横盛りの出来る人は見たことが無い。

外形的にみて、飯盛り、肉盛りの技術がこれだけ落ちているのだから鍋の味管理が落ちているのも推して知るべし、なのかもしれない。

さらに、牛丼好きに取って悪い状況は、吉野家の多メニュー化だ。旧来の吉野家では、基本的に調理が必要なのはご飯炊きと牛丼だけであった。厨房で働く人間は、基本的に牛丼の味だけを気にしていればOKであり、(力量にもよるが)十分に鍋の管理に神経を使っていられる状態であった。

(一人でバックをまわすことも多かったので、牛丼盛りつけ/食器洗い/洗米/飯炊き/お新香の盛りつけ/カウンターへの作業指示など他にもやることはそれなりにある。ちなみにぼくが入っていた深夜シフトは、23時~翌6時まで一人で店全体をまわしていた。今では考えられないが。)

今は、牛丼に加えて豚丼、さらに焼き肉だカレーだ牛スキだとかなり多くのメニューをこなさなくてはいけなくなり、当然その分牛丼の鍋管理に使える時間と神経は減っているだろう。その辺りが、牛丼が不味くなったと感じる人が多い原因ではないかと思う。

しかし、吉野家について語ると止らなくなる。俺、牛丼愛してるなw

(10:55 AM Oct 10th 頃 Tweetしたものに加筆訂正)

iPhone雑感

Home20091009

10年前のぼくはノートPCを持ち歩いていた。B5サブノートだったと思う。ノートPCに加えて、AC電源に始まり、予備のバッテリー、モデム、電話線、電話用モジュラー変換各種コネクター、鰐口クリップ、モデムセーバー、果ては音響カプラーまで持ち歩いていた。当時ノートPCを持ち歩きつつ、出先から安定して通信を行うにはこのくらいは必要だったのだ。

これではいけないと思って、PalmVxを買った。PIMとしては便利だったのはもちろん、ワークシートも見られるし、WEBは使えなかったが各種テキストも読める。でも、メールは読めないので場合によっては依然としてノートPCも持ち歩く必要があり、結果として荷物は増えた。デジカメを常時持ち歩くようになったのもこの頃。

何年か前にリナザウを買って、やっとノートPCを持ち歩く習慣は無くなった。この頃はIRCにどっぷりつかっていたので、クライアントがあってキーボードのついたリナザウは最適だった。でも、各種ケーブル、SDカードのリーダー、AirHのカードと無線LANアダプター、予備のバッテリーと外付けバッテリーなど持ち物の数としては余り代わり映えしなかった。

さらに、携帯ゲーム機を持ち歩くようになり持ち物はまたしても増えていった。

3ヶ月ほど前にiPhoneを買って、持ち歩きデバイスはほぼiPhone(と携帯ゲーム機)だけになった。鞄はだいぶすかすかになり、ぼくは幸せになった。はずだった。

だが、すぐにBluetoothのヘッドフォンアダプターと予備の充電ケーブルを買ってしまった。Bluetooth経由で音楽を聴くのは快適だ、だがそのために毎日帰宅後に充電するデバイスが1つ増えた。出張先のホテルで、iPhoneとBTアダプタとDS、日によっては加えてデジカメと4つのデバイスを充電しているとなんだかあほくさくなる。もちろんそのために出張には必ず携帯式のテーブルタップを持って行くのだ。そしていま、iPhone用に新しい外付けバッテリーを買おうかと思っている。そう、また、持ち物を増えつつあるのだ。

これは便利だと思って、何か新しいデバイスを買うとその環境を快適にするために別の持ち物が増える。それはガジェット好きとしては嬉しいことのはずだったのだが、今朝充電し忘れたBTヘッドフォンセットを家に置いてきて、ああ、なにも首に巻いてないって快適だなと思い、この矛盾に気がついた。

もうね、一体何をやってるんだか\(^o^)/デモヤメラレナイ
(本日のTwitterポストに一部加筆訂正しますた)


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